スピリチュアルに興味がある人の中では、「ネガティブな感情になるものは見ない方が良い」と言われています。
それには、ある理由があるのです。
ですが、見たくないものは見ないということで本当に良いのでしょうか?
スピリチュアルの世界には、真実の目を持てる強さを得る方法もあるのです。
盲目と真実の目
悪い出来事ことが目の前で起こってしまうのは、あなたがそれを引き寄せているからです。
感情がネガティブになるようなことは、できるだけ見ない方が幸せでいられます。
感情に耳を傾け、できるだけネガティブな感情にならないように、心が幸せになるものを見ましょう。
スピリチュアルの世界では「あるある」な言葉です。
まあ確かに、ネガティブな感情になると、精神的にきつくなるので、上記の言葉の意味も理解できなくもないです。
が、しかし、本当にそれで良いのか?
事実から目をそむけるだけで、この地球上は幸せいっぱいのポジティブ世界になるのか?
なりませんね。。
事実から目をそむけるのは、単に「盲目」であるだけなのです。
後悔するくらいなら盲目になるべきではない
よくあるのが、
「僕は彼女を信じている。あの子は騙す子なんかじゃない。。」
と言いつつも、良いように使われてポイされる人。
その後に言うのは、
「あの時、騙されていたことになぜ気づかなかったんだ…」
という言葉。
人を疑ってかかるよりも、信じる方が良いことなのですが、それでも、この状況はあまりにも盲目だと誰もが思うはずです。
盲目にさせるのは感情をコントロールできないのが原因
人を盲目にさせる原因の一つに、感情をコントロールできないことが上げられます。
例を上げると、
盲目的に「好きだという気持ちはきっと伝わる。」と思ってしまう。
→フラれた時のことを考えると自分が耐えられない…自分の気持ちが伝わっているかどうかの確認も取る勇気もないし、事実を知りたくない。
盲目的に「彼女は絶対に騙す子ではない」と思ってしまう。
→彼女に騙されると考えると耐えられない…だから彼女が僕のことをどう思っているかなんて知りたくもないし、事実見たくない。
盲目的に「病気の経過は見たくない。私は病気では死なない。」と思ってしまう。
→経過を診察した時に、もし悪化していた場合とても耐えられない…だから診察に行く勇気もないし、事実を知りたくない。
盲目的に「旦那さんの経営している会社が傾きかけていて、夫婦ともども自己破産するかもしれない。だけどきっとあの人はどうにかしてくれる」と信じている。
→旦那さんの今の大変な状況ことを考えたらとても「もし会社がダメだった場合、その後のことはどうするの?」なんて聞けない…だから、事実は知りたくない。
盲目的に「あの人は私のことを悪く言っているはず…みんな私のことが嫌いなんだ。。」と思ってしまう。
→自分の中で作ったストーリー(予測)は真実だと思いたい…だから、みんな自分のことをどう思っているかなんて知りたくもないし、話しもしたくないし、事実を知りたくない。
盲目的に「憲法9条さえあれば日本はいつまでも平和である」と思ってしまう。
→戦争は相手を殺すこと、相手を殺すことは残酷なこと、人を殺すなんてとても耐えられない…だから、自分や家族、仲間を守るために戦う理由なんて見つけたくもないし、世界中で防衛力がない国が侵略され虐殺されている事実なんて知りたくない。
上記のように、可能性として有り得る事から目をそむけたいという感情が、目を曇らせる原因となっています。
そういうことで言うと、揺さぶられる感情さえ自分でコントロールできるようになれば、もっともっと真実が見えるようになるということです。
ひどいものを見てしまわないように真実の目を閉じる?
よくスピリチュアルを趣味としてしている人の中で、
「見えたり、聞こえたり、感じたりするスピの感覚が、ある日を境におとろえることがある」
ということを聞きます。
理由は、
「これからの時代があまりにもヒドイため、真実が見えすぎると心が耐えられず、精神崩壊を起こす可能性もあるから」
だということです。
スピ系のブログを読んでいると、こういった論調の人は意外とたくさんいます。
「前世でとてもつらいことを見てしまったためサードアイチャクラが傷ついており、潜在意識的にサードアイチャクラを開かないようにしている」
という話しもよく耳にします。
真実を見ても傷つかないようにするためには
心を傷つけているのは、悲惨な出来事を見せているそのものではなく、自分自身の感情を処理しきれないために心が傷つきます。
自分ではどうしようもないほど感情が大きく揺さぶられる時、潜在意識の何かが反応しているのが原因です。
つまり、過去や過去生の情報の中の何か。
それを解消するまで、あなたの感情は大きく揺さぶられます。
だから、
「心が傷つくから見たくない」ではなく、
「見ても傷つかないように自分の中を書き換えよう」
というのが、真実を見ても心が傷つかないようにするために大切なことなのです。
神の視点で見た地球
天使は意外と感情豊かで、憧れを抱いたり、怒ったり、しょぼくれたりするのですが、
天界にいる創造主や神、管理者は、地球にいる人間が何人死のうが、わめこうが、ほとんど感情は動きません。
これは、感情が無いというよりも、
- 仕事に集中している感覚
- 実験して観察している感覚
- 映画を見ている感覚
にとても似ています。
波動を高く高くしていくと、そうやって色々な天界の人の感覚を自分に移して物を見ることができます。
そうやって、地球を見た時に、どんな真実が見えたとしても感情は動きません。
「そっか~。ここがこう動いて、ここがこうなるんだな。その過程で何人が滅びるんだな。じゃあ次はこういう実験をしてみようかな。」
そういう感覚なのです。
いつかは真実を見なければ先に進めない
本当に残酷なことですが、私たちは、いつかは真実を見なければいけません。
私たちは、たしかにこの地球に生きています。
そして、私たちは、いつか死にます。
一生の中に何らかの病気もするし、健康も衰えていきます。
目の前でとても親しい人が死ぬ時もあります。
見たくない、体験したくないことでも、絶対に真実を知らなければいけない時が来るのです。
その時に、「見なければ私の中は平和である」なんてことは無いと思います。
絶対に見なければいけないこともあるのです。
その時に、精神崩壊しないように、自分が強くなる必要があります。
強くなるというのは、筋肉量や運動量ではなく、感情に揺さぶられない心の状態。
過去の情報を書き換えて、感情の原因となっているものをクリアすること。
そして、もっともっと波動を高く保って、天界から地上にいる自分というものを俯瞰して見られるようになることです。
事実を見ることができるようになるメリット
感情に振り回されずに真実が見ることができるようになることで、さまざまな利点があります。
安心感が増す
見えないから不安になるのです。
見えていれば、その分、不安は取り除かれ安心感が増します。
ストーリー作りたがりの妄想癖が無くなる
物事がハッキリ見えないと憶測や自分の思い込みで動くことになります。
特に、自分の中の世界を作るのが好きな人や、妄想の中で生きている人は、盲目であることが多いのです。
願望や意欲を抱いたり、良い未来をイメージすることはとても良いことなのですが、あまりにも事実とかけ離れた妄想が頭の中にあると、いろんな意味で心配です。
行動に自信を持つことができる
しっかり事実を見ていくことで、自信もつきます。
例えば、何かを管理する時、全ての進行状況を把握できることは、次に自分がどの手を打てば良いかを知ることができるので、自信を持って行動することができます。
成功への道が近くなる
ビジネスの世界では、「情報を制するものは、ビジネスを制する」という言葉があります。
たしかに、そうなのです。
得た情報の中で、事実と事実ではないものを自分の中でハッキリ分け、そのデータから得られる成功できる近道になる情報を得ることができれば、自分の未来もある程度予測できますし、行動を起こしてから成功するまでの道のりがすごく近くなります。
特に会社の社長さんは、仕事に対して盲目ではやっていけば会社が潰れてしまいます。
それでいうと、個人事業主や社長をやっている方は、少しだけ真実を見る目が養われているのかもしれません。
まとめ
スピリチュアルと現実は、かけ離れたものだと思っているかもしれませんが、表裏一体です。
現実でも、スピリチュアルでも、事実をきちんと知ることが大切なのです。
スピリチュアルの世界でも、住んでいる次元により、概念や条件、叶うスピードや、やり方も全く違います。
その中で、「見なければ良い」という考え方も、感情をコントロールできない人にとっては必要でしょう。
ですが、感情が起きるのは、その人の中に何かしらの原因があるから。
そこを越えて、真実をしっかり見ていくことで、次の段階へシフトできるのかもしれません。
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