今回は、あえてメタさんはエネルギーを流しませんでした。
その理由は、この記事を見ている人本人が、光を見つけるためのエネルギー状態でいることが重要だからです。
光を見つけて行くためのエネルギー状態とはいったいどういう状態なのでしょうか?
光を見つけるエネルギー状態になるために
先日、第121回目のエネルギー当てクイズをおこないました。
回答者は、12名。
- 大天使メタトロンのエネルギー:0名
- アバンダンティアのエネルギー:5名
- ゼウスのエネルギー:0名
- あえて何もエネルギーを流していない:7名
正解者は、7名でした!
今回は、以前おこなったことがある「自分自身が発するエネルギー」です↓
さて、どんなエネルギー状態になることが大切なのか、下に書いてみましたので、参考にされてください。
今回のエネルギーが決まった経緯
今回も、どんなエネルギーを流すのか、調べてみたところ、天界の誰かのエネルギーでもなく、メタさんがアレンジしたエネルギーでもないようです。
そこで、どんなエネルギーを流すのか、深くリーディングしてみることにしました。
すると、先日書いた「光のグローバル化」の記事が浮かんで来ました↓
そして「これからは、光を見つけていくこと」という言葉が浮かんで来ました。
見つけていかなければいけない「光」とは
2019年は、闇のあぶり出しをおこない、「闇」というものがどういうものか?を、嫌というほど認識した方もいると思います。
過去の記事を見ていただけばわかるかもしれませんが、闇とはそういうものです。
さて、ここからは、光を見つけて行く必要があるということ。
光とはいったいどういうものなのか?というと、、答えはありません。
というか、答えられません。
これは、闇側から見た「愛」というものにはたくさん定義がありますが、光側から見た「愛」はうまく伝えられないのと同じ感覚です。
軽くて、ふわっとしていて、微妙なニュアンスで、とても言葉にしづらい。
だから、光の感覚は伝わりづらく、だからこそ見つけづらいのかもしれません。
光を見つけるには、どうしたらいい?
よくちまたで言われている「人の良いところを見つけましょう」というのは、光を見つける事とは少し違うような気がします。
良い悪いで判断をするのは、「自分の中に作り上げてしまった宗教」によって判断している場合があるからです↓
では、どうすればいいか?
まず大前提として、自分自身の心が、光の感覚を知っていること。
そして、その心の中の微妙にわかりづらい光の感覚を指標に、心で感じ取り、見つけて行くこと。
もうこれしかありません。
光の見つけ方にも正解が無いんですね。
自分自身の心が光の状態のときに、心で感じたことそのものを信じて行くしかないというか。
正解が無いって、非常に難しいと思います。。
まずは、自分の心を軽くして
非常に難しいのですが、ただ一つ言えるのは、自分の心が苦しい状態のときに、光を見つけることなどできません。
なので、自分の心をどれだけ軽くして行けるか?が、とても大切になってきます。
だけど、人生はうまくいかないことだらけですよね?
苦しいことや、悩まされることや、解決のできないことだらけだと思います。
海だって、穏やかな水面のときもありますが、湿気ったときは高波が立ち、波に飲み込まれそうになるときもあります。
そんな大嵐の海にいるときこそ、いかに軽快なサーフィンで波をやり過ごせるかが、心を軽くするヒントのような気がします。
↑実は、この感性を伝えようとして、ウェルシークラスの何人かに話をしましたが、「よくわかりません。。」という回答が多かったです^^;
やはり、光の感覚は言葉では非常に伝わりづらいなと、改めて認識させられました。。
天界は闇をも使う
天界は、闇をも利用します。
つまり、天使がこの地球に降り、仕事をする際に、人の争い事や流れる血、人の生死さえもうまく光の流れに変換して行くような感じがします。(ここで言いたいのは、天界が争いを起こしているわけではなく、闇側が争いを起こした事柄を天界がうまく利用すると言ったほうが、わかりやすいかもしれません)
天界の感覚は、自分の置かれている状況が、闇の真っ只中であったとしても、その闇に動じず光に変換して行くような感覚です。
それは、闇の中から光を見出すのと似ているかもしれません。
光を見つけ出せる状態になるために
ここまで来て、ようやく今回のエネルギーが見えて来ました。
今回は、過去に3回ほどあったように、メタさんがエネルギーを流すことをするのではなく、この記事を見ている人たち自身が「光を見つけ出せるエネルギー状態」になることです。
そのためには、
- まず、自分の心を常に軽くして
- 光の感性を自分の心で感じ取る
この2つの流れを作ってみてください。
光を見つけたときの感動は、人のためでも自分のためでもない言葉にはできない喜びがありますよ。